KAFE9 - KAAT

ARTIST

池田扶美代×山田うん

作品創りの一歩をショーイング

2012.09.30 (SUN)
@中スタジオ

14:00

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池田扶美代×山田うん


池田扶美代 1962年大阪生まれ。1979年、モーリス・ベジャールのムードラに入学。同校でアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルと出会い、1983年共にローザスを結成。以来、08年までほぼ全ての作品の創作に携わり出演する。ローザスの多くの映画やビデオ作品にも参加し、ジャンルを超えて映画や演劇にも活動を広げる。
http://www.rosas.be/

山田うん 2002年設立の山田うん主宰のダンスカンパニー。これまでに国内27都市、海外12カ国20都市で作品を上演し話題を呼ぶ。機知に富んだユニークな振付、緻密な構成、ダンサーのビビットな身体は観る者の知性と感性を同時に触発する。ライヴ感溢れ「今」を謳歌する作品は最先端でありながらどこか懐古的。
http://yamadaun.jp/

2013年に発表する新作の創作過程を公開!!

世界で活躍するダンサー池田扶美代と日本を拠点に活躍するダンサー山田うんによるデュオ新作のクリエーション。
音楽家などもゲストで参加予定。来年の作品への方向性を様々に試した結果を披露し、創作へつなげていきます。

2012.07.30

WEBマガジン Dance Cube掲載

チャコットのWEBマガジンDance Cubeに、池田扶美代『in pieces』、Co.山田うん『ショーメン』、Bodies in urban spacesをご紹介いただきました。

Dance Cube

2012.07.23

池田扶美代さん、山田うんさん インタビューダンスとの出会いは?お互いに期待することは?横浜で作品を創るって?

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自分にとってのダンスって?
池田
私は10歳からダンスを始め、16歳でベルギー王立20世紀バレエ団付属学校ムードラに入学しました。入学する前から、日本でダンスをやっていくにはある種の危機感を感じていました。ムードラは私の人生を大きく変えました。同じ学校にいたアンヌ・テレサ・デゥ・ケースマイケルと、卒業生4人でダンスカンパニーローザスを創立しました。当時私は20歳、アンヌ・テレサは22歳。今日まで沢山のローザスの作品と映画の仕事に参加しています。未だにアンヌ・テレサの事は良く分からないです。だからこそ、まだ一緒に仕事を続けられているのかも知れません(笑)7年位前に彼女から、何か作品を創ってみてはどうかとオファーを頂きました。そうして、初めてできたソロ作品が、イギリスの演出家ティム・エッチェル氏と創ったin piecesです。
山田
音楽のように詩のように文字のように粒のように水のように風のように樹のように獣のように昆虫のように鉛筆のように椅子のように家のようにいつか見た風景のように思想そのもののように在り続けるダンス。玩具のような体にもつかみどころのない心にも支配されたくないと逃げるダンス。懐かしい記憶と形のない未来が次々やってくる時間。大人とも子供とも全身で遊べる広場。思考停止でも深読みしても楽しめる世界。感情と理性の境界線。計算されているのに人間くさい。美しいかも情けないかも。馬鹿なのか賢いのか、王道なのか邪道なのか、弱いのか強いのか、生きたいのか死にたいのか、笑いたいのか泣きたいのか、私はいつもわからない。笑うと泣いてしまうし泣くと笑ってしまう。私の体のど真ん中で全ての物事が交差して私をクルクルまわしている。
——
お互いに期待することは?
池田
ベルギーに渡り、30年余り何かを表現するという仕事をしています。テーマは何か、何が伝えたいかと問われると、本当はこれといって特別なものはないです。でも、いつも行き着くところは〔記憶/失う〕です。生であり死であり、再生です。同じ舞台は存在しなく、同じ瞬間もない、同じテーマであり全く違う。いつも違う事を、瞬時繰り返しています。この失っていく瞬間を山田うんさんと一緒に失えたら、失っても良いものが沢山増えるなら彼女と一緒に失いたいと思い一緒に仕事をする事にしました。二つの失いつつある時間がほんの少しクロスする。化学反応が起こる。摩擦です。妥協です。秘密がいくつか増えます。それだけの事です。観たものも聞こえたものもすべて忘れていいです。しかし私達の香りが残る作品が創れたら幸せです。
山田
命そのものみたいに力強くもあり脆くもある人。池田扶美代さん。さんを付けるのも付けないのもまだ違う。彼女と私で作る表現というよりも肉体を超えて言語を超えて魂かな。出会った運命を超えて出会いたい。今は日本とベルギーという遠距離クリエイション。踊る前の踊り。例えばメールで交換単語。一日一語。祝福→忘>れる→悪戯→内緒→色→透明。お互いの語を受けて、または語を受けすぎないということを通して一つの語に表し交換する。意味になりすぎないように、そして無意味になりすぎないように、丁寧に言葉を選択したり丁寧になりすぎないで言葉を選択したり。お互いのことを知りすぎないことでお互いをよく知ること。生きる共演者は突然現れるから。
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横浜で創作するにあたって。
池田
横浜には沢山の想い出があります。すべてダンス繋がりです。初のROSASの日本公演が横浜。私の日本での初めてのWorkShopも横浜。そして97年には神奈川芸術文化財団が発足したASK(arts studio of kanagawa)の第一回講師を務めさせて頂きました。そして今年、来年も再び横浜に戻って来れるという嬉しいお話です。横浜には独特の歴史がそこら中に残っています。そして新しい風が常に吹いています。私にとって横浜はターニングポイントの街になりつつあります。このような街で新作を発表出来る事に喜びを感じ感謝します。
山田
横浜は「ダンスで人生を開け!」と私に言い続ける街。1989年のヨコハマアートウェーブでは、それまであまり見たことのなかった欧州のダンスをみて刺激を受けて「世界は広い!楽しい!捨てたもんじゃない!」と思い目がキラキラして、1996年の私のデビュー作公演は横浜で、それから横浜STスポットに制作者として勤務して数々のダンス企画を手掛け数多くのダンサーやコレオグラファーを応援して、そして2000年横浜ダンスコレクションで振付賞をいただいて、それを機にダンサー、コレオグラファーとしての道が開いて、でもそれよりずっと前の13歳の時、慢性関節リウマチが発症した時、横浜のリウマチ専門クリニックの先生、今の私の主治医が「痛いだろうけど動かした方がいい。スポーツは負担がかかるから例えばダンスはどうだろう。動くことで関節の破壊や変形を防げるかもしれないから、やってみたら?」と言ってくれて、それが最初のダンスとの出会いで、、、。私のダンスが始まったり再出発したりするのはいつも横浜。今回もまた新しい道が開けるのかも、再出発なのかも。

TICKET

快快(FAIFAI) contact Gonzo 悪魔のしるし We dance 横浜 2012 池田扶美代 Co.山田うん 池田扶美代 x 山田うん Promenades blanches Bodies in urban spaces KAAT